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楽しく生きるブログ

すい臓がんに負けないためのブログです。2013年秋、ステージ4Aのすい臓がんを宣告され、すい臓全摘出、十二指腸・胆管・胆のう・ひ臓全摘出、胃3分1摘出の手術をしました。術後、余命1年の宣告からゲルソン療法と黒焼き玄米茶に出会い、一度は腹膜に転移した癌が消え、現在、4年が経過しましたが、仕事もしながらちゃんと生きています。あなたも希望を捨てず、前向きに生きていきましょう。
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①必死の落ち葉集め

 病院から自宅に戻る車の中で、妻が運転しながら私に言った。

「これから私が運転するからね」

深く考えずに「うん」とだけ答えた。

もう周りの山は紅葉も終わりかけていた。たった40日間の入院の間に何も変わりはしない風景のはずが、何だかやたら新鮮に見えるから不思議なものだ。

 

 自宅に着いた。玄関を開ける。リビングに入った。

少々時期としては早いのだが、私のために用意してくれてあったコタツに入り、テレビをつけた。

「わが家」だ。

 

しばらく妻と話していたが、妻は仕事に戻らなければならない。

私を心配しながらも、車で仕事場へ出かけていった。


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しばらく「ボー」としていたが、退屈になって、窓から外を見ると、庭が落ち葉だらけだった。

忙しくて手が回らなかったんだろう

「落ち葉集めでもするか」と、コタツから出て、庭の落ち葉を集めはじめることにした。

外に出て、物置から竹ぼうきを出して、ザー、ザーと落ち葉を集めていると、

3分もするとやはり動けなくなってしまった。


だが、この時は、まだ「この動けなくなる」ということの本質がわかっていなかった。

ただ、手術で体力がなくなってしまって、「また鍛えなおせば元に戻る。」そういう若いころの意識、病気じゃない人の意識が働いてしまっていた。

宇宙飛行士が、地球に戻ってきたときに、体力が落ちて立てないくらい弱っていても、1ヶ月もすると元に戻って、元気になる、そんな感じに思っていたのだ。実は、そんな簡単なものじゃなかったのだが。


 たった3分の落ち葉集めでくたばって、5分しゃがみこんで休憩、また2分やってくたばって、5分座って休憩、また2分やって、そんなことを繰り返しながら、やっと落ち葉集めができた。

狭い狭い庭の落ち葉集めに30分以上かかってしまった。元気な頃なら5分で終わる仕事だ。

それを、「ハー、ハー、ヒー、ヒー」と肩で息をし、途中で膝に手を当てて下を向き、息を整えてまた「ハー、ハー、ヒー、ヒー」とやる。

周りに人がいたら、この人、何やってんだろう?と不思議に思うに違いない。


 でも、私の中では、何だろう、、、「これをやらなければダメになる。」「何かやらなければ、本当にダメな人間になってしまう。」そんな強迫観念みたいなものが働いていたのかもしれない。

30分の落ち葉集めが終わり、やっとのことで部屋に戻り、コタツに潜り込むと、もう動けなくなってしまった。

今思えば、かなり低血糖になってしまっていたんだろう。それに血圧も低い。そんな状態で肉体労働なんかできるはずがないのだが、やってしまった。

ochiba03


 さて、手術後のガン治療は通院治療に切りかわった。

2週間に1度、通院して抗ガン剤「ジェムザール」を点滴で入れるとのことだ。

抗ガン剤と聞くだけで、ますます気分は重くなってくる。

 

その夜、久し振りに妻と二人で食事をした。

肉はガンによくないということで、肉抜きの食事だった。

それはそれで仕方のないことだと諦めた。

 

疲れて、ベッドに入り、眠ろうとするが、眠れない。

何だか、熱っぽいような気がする。

いったい、俺の体はどうなってしまったんだろう。。。

 

(つづく)


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②退院の次の日に高熱を発して病院へ

やっぱりだめだった。。。

 

退院の日、夜から熱が出てきた。

何とか下がってくれと願っていたが、どんどん上がり39度になってしまった。その夜はほとんど眠れず、翌日、病院へ行った。

 

朝、妻が病院に連絡してくれて、二人で病院に行った。まずは内科へ行けと言われて、内科の待合室でフラフラになって待っていた。

1時間も待たされただろうか、

まずは血液検査だと言われて、血を採られた。

さらに待っていると、やっと糖尿病の担当の先生に呼ばれた。

いろいろ聞かれたが、「点滴するか」と言われて、処置室に連れていかれて点滴をされた。

点滴をしてから、終わるのに3時間かかると言われた。

そんなに時間がかかるなら、仕事の関係上、妻を仕事に戻さないといけない、などなど、やいのやいの言っているうちに血液検査の結果が出たらしい。

糖尿病の先生が処置室に顔を出して「これは外科だわ、外科外科」と言った。

看護師2人が、さっさとベッドを動かし出した。点滴つけて、ベッドに横になったまま今度は外科の処置室に回された。

 

また1時間して、

「橋本さん、熱出たって?」と、今度はクマ先生が顔を出した。

やっと診察らしい。


結果はこうだった。

胆管と腸を手術でつないだところから、たまにばい菌が下から上がってくるんですよ。そうすると発熱するんです。ということだった。


そして、今度は抗生物質の点滴を始めた。

入院中にはこんなことはなかった。

それは抗生物質のおかげだったのか?

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結局、2本の点滴が終わり、抗生物質の飲み薬を処方してくれることになった。

毎日、毎日この薬を飲まないといけなくなってしまった。

妻を仕事に戻さないといけなかったのだが、パートさんに特別に残業してもらって、何とかしのいでもらった。

 

結局この熱が出る症状は、後々ずっと続き、少しずつ悪化して、ついには手術するとになります。詳しくは

術後の吻合部狭窄(ふんごうぶきょうさく)

に書いてあります。

 

喜びも束の間…とはこのことなんだろうか

 

(つづく)



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③出勤

 退院後、翌日は、高熱が出て病院に行き点滴、そのまま直帰で、一日何もできなかった。

どうなるんだろう?不安だったが、この症状、熱が落ちると、全然何もなかったようにケロッと治ったかのような感じになる。

体と精神は、やはりくっついているんですね、体に元気が出てくると、その不安な気持ちがフッと消えてしまう。

数時間前までは、

「急いで退院なんかしなければよかった。ただ、妻に迷惑かけるだけだった。」と下を向いて、物も言えない雰囲気だったのが、ちょっと元気が出てくると

「仕事に行かなきゃ、20日にはパートさん方に給料を支払わないといけない。」なんて思ってしまう。

そのコロコロ変わる、変わり身の早さに、さぞ妻は戸惑っただろうと思う。

 

 翌日の朝

目は覚めているのに、「ヨイショッ」と起き上がることができない。

時計を見ながらグダグダ、グダグダしてしまう。起き上がろうと心を決めてから、実際に起き上がれるまで5分以上かかってしまう。

「根性がない」と、また自分にがっかりしてしまう。

2階から下に降りる。

階段だ。普通に両足で1段ずつ下がっていこうとすると、「イテェー」と思わず声が出る。

腹の傷口がかなり痛む。

仕方なく、まず右足を下ろし、その段に左足をそろえ、また右足を下ろすという、まるで幼児のような階段の降り方しかできない。一段、また一段とゆっくり降りるしかない。

やっとのことで2階から降りてくる。

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 テーブルに着いて、まず、血糖値を測ることから始まる。指の先に針をチクッと刺して、出てきた血液に検査器を押し当て、出た数値を糖尿病ノートに記録する。

そしてそれが70以上の数値なら、食事前に打つインスリン「ヒューマログ」を打つ、そして食事、

もし数値が70以下なら先に少し食事して血糖値を上げてから食事中にヒューマログを打つ

 

朝食は、おかゆではなかった。うれしかった。

何とか朝食を終え、食後の薬を飲む

膵臓がなくなって消化できないので、豚の膵臓からつくったと医者が言っていた「リパクレオン」とかいう薬を4カプセルも飲む

それから抗生物質、胃薬、もう1つの消化剤と飲み続ける。

薬を飲み終わるごろになると、腹の具合がおかしくなってくる。これは入院していたときからこうなのだ。

「グルグル、グルグル」と周りに聞こえるぐらいの大きな音がする。

たまらず、トイレにかけ込む

また下痢だ。手術以来、ずっと下痢の症状が治らない。消化薬だけではやはり切除してしまった膵臓のかわりはできないんだろうと、半分諦めていた。

いろいろネットで調べてみても、やはり膵臓を取ってしまった患者さんのブログでは、同じように下痢に苦しんでいる人ばかりだった。

何だかんだと時間ばかり食って、やっと妻に車に乗せていってもらって出勤した。車に乗り込むと、もうそれだけでぐったりしてしまった。

 

 会社に着き、パートさん方に「いろいろお世話になりました」と、あいさつしようと話し出したが、声がちゃんと出なくなってしまって、まともにしゃべれない。

それは、手術後から起こったことなのだが、声がかすれるなってしまったが、手術の影響で、しばらくたてば治るものだと思っていた。

のど飴なんかなめてみたりしたが、いつまでたってもかすれた声しか出ない。

その日も、一言、二言話すにも、とてもエネルギーが必要で、1~2分しゃべると、疲れて声が出なくなってしまった。

200811291250000

もともとずっと椅子に座っての事務仕事だから、こんな状態でも何とかなると思って出勤したが、困ったことになってしまった。

これではまともに電話に出ることも、できなくなった。

 

その日は、何とかパートさんの給料処理と自分たちの給料の処理だけして仕事は終わりだ。

たったそれしかできなかったが、それでもうれしかった。何か戻れたような気になれた。

 

365day

さて、頑張らないと

俺に残された時間は、あと1年

 

(つづく)



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④退院後の癌治療の通院日とは

退院して最初の通院日だ。

朝から妻の運転で真っすぐ病院に向かった。手術をしたクマ先生と、手術ですい臓を取ってしまったので完全な糖尿病となってしまったので、その糖尿病の先生と、一日で2つの科を受診することなる。これが思ったより大変、もう大変大変。

まず、外科の窓口で受け付けを済ませて待つ、少したつと看護師に呼ばれる。

採血と問診は看護師が担当だ。看護師が問診票を見ながら1つずつ尋ねる。

「橋本さん、ダルさはどう?」

「何もないです」

「痛みとかある?」

「傷口がまだ痛いです。」

「そうね、2年ぐらい痛むかな~」

「はぁ~」

そんなやり取りをしながら、血圧を測る

「82、低いね、大丈夫?」

「どうも、切ってから低いんですよ。」

「あっ、そう、フラフラしない?」

「たまに、とにかく朝がつらい。」

「そうよね~、で、体重は幾ら?」

「48.5㎏」

「じゃあ、採血しますね、それからおしっこ採ってくれるかな、このカップのここの線のところまでね」

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採血と尿を採り、再び待合室で待つこと30分

やっと呼ばれて、診察室に入る

余り会いたくもないクマ先生の顔を見る。

「やたら髭面だな」と思った。もう1週間も家に帰ってないような顔をしていた。

パソコンの画面を見ながら、

「どう、橋本さん?」と聞く

「まあまあです」と答える。

「今日から抗がん剤、ジェムザールの治療を再開しますからね、え~とね」と言いながら、パソコンにグラフを表示した。

「退院前に採った血液検査の結果ね。これが癌マーカーの数値で、ここで手術して、ぐっと下がっているね」

見ると、ビンビンに高かった癌マーカーの数値が、手術したことによって一気にすべてが正常値以下に下がっていた。ほとんどゼロのような数値もあった。

数値が下がるのは、当たり前と言えば当たり前だ、でもそのグラフを見て嬉しくなってしまった。

思わず「先生のおかげです」と頭を下げた。

「まあ、見えるところはすべて取ったからね」と、クマ先生、まんざらでもないようだった。

「じゃあ、ジェムの用意をさせますから、少し待ってください。」と言われ、また待合室に戻った。

 

待つこと30分、やっと呼ばれて奥に入る。

この部屋は、化学療法を受ける癌患者の部屋だ。広い部屋にはベッドがずらーと並び、みんな点滴を打っている。ここにいる全員ががん患者だ。ここに入ると、自分など「まだ手術ができたのだから、まだましな方だと思ってしまう」ほど、その部屋の雰囲気はつらかった。

ベッドを指定されて、横になっていると看護師が来て点滴を打つ

まだ、ジェムザールの用意ができていないので、間に合わせに生理食塩水を点滴で打ってジェムザールが車での時間稼ぎをする。

ジェムザールの用意ができると、ジェムザールの副作用をやわらげるためにステロイドを点滴する。それに20分

それが終わるとやっとジェムザールの点滴が始まる。

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ところが、このジェムザールに変わったとたん、痛みが始まる。ジリジリとその痛みは増していく。血管痛と言うのだそうだ。

その痛みをごまかすために看護師が蒸しタオルを当ててくれる。私のように腕が細く、血管が細い人ほどその痛みは強くなる。

痛みを与えられて楽しい人はいない。どんなに我慢していても、表情にそれは表れ、その標的を看護師に向けてしまう。

「チクショウ、下手な注射しやがって…」というように。

点滴の最中に正午を知らせるチャイムが鳴った。「もう昼かよ~」

痛みを我慢すること30分、やっとジェムザールの点滴は終わり、最後に全部きれいに流し込むために再び生理食塩水を打つこと15分。

 

何だかグッタリするほど疲れて、化学療法の部屋を出てきた。

外科だけの精算を済ませ、次は内科の受診だ。診察券を持って、妻が内科の受け付けに並んでくれた。

外科の混みぐあいで腹を立てていたが、内科はそれどころではなかった。こんなに広い待合室なのに座るところもない。

私は、ようやく空いた席を見つけて、フラフラしながら座っていることしかできなかった。

診察券を出してから40分たった。ようやく呼ばれた。

「橋本さん、中の待合室でお待ちください。」

廊下を渡った奥に、長椅子が並べられた待合所がある。やっとここまで来た。

そこで待つこと15分、ついに呼んでくれた。

「橋本さん、橋本さん、3番にお入りください。」

ドアを開け、

「失礼します。橋本です。」と中に入る。

「いやいや、お待たせして申し訳ない、本当に申し訳ない、まあまあ、座って座って」と糖尿病の先生

画面を見ながら、

「ね、手術大変でしたね、私が紹介していただいた膵がんの患者さん、数名いらっしゃいます。長い方で、そうね、2年以上ご存命の方がいらっしゃいますから、まあ、頑張ってくださいね。」と、励ましてくれたんでしょう。私には「2年」という数字しか頭に残らなかった。「2年頑張る人がいるんだ~」とね。

とにかくよくしゃべる先生だ。聞きもしないことをペラペラ、ペラペラしゃべっている。

結局、インスリンを打つ回数と量を告げられ、それで終わり、2分だった。

 

また、待合室で精算のために待つ。。。これが本当に長い、長い、長い、だんだん腹が立ってくる。

事務員が書類を挟んだブリーフをあっちこっちへ持ち運んで、それを打ち込んでいる。何のための医療コンピューターシステムだ。

40分待たされた。

やっと精算が終わった。

今度は、処方箋を持って薬局に薬を取りにいかないといけない。

すぐ近くに、病院目当ての薬局がある。そこでまた40分かかった。

何だかんだで、もう3時になってしまった。

 

だんだんイライラしてくる、腹が立ってくる。

後でわかったことだが、

これは昼食もとれないので低血糖の症状が出てきたのだ。本当にフラフラだ。まだ、そんな通院の経験も浅く、妻も私も何が自分の体に起こっているかわからなかった。実は、危ないところだったのだ。

 

そんな状態でもこれから会社に戻らなくてはならない。私は仕事なんかできるはずがないが、妻には仕事がある。行かないわけにはいかないし、第一、妻は、こんなあぶなっかしい私をひとりになんかにできない。いつもいつも横に置いて見ていないといけない状態だ。

 

こんなことを2週間に1度ずつ繰り返さないといけないのか?

これこそがストレスじゃないのか?

俺は病院来るために生きているのか?

そんなくだらないことばかり頭を駆け巡るようになってしまった。

 

(つづく)


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⑤抗ガン剤ジェムザール(ゲムシタビン)

退院後、初めて通院で抗ガン剤治療を受けた。

その日の夕方から顔が熱くなって仕方がない。夕食前に血糖値を測ると450を超えていた。クマ先生が言ったとおりだ。ジェムザールの前に打つステロイドは血糖値を上げる方向に作用すると説明していた。

だから、どうすればいいんだ?それは内科の仕事なのか?何にも言ってくれない。内科でも、まあそれは様子を見てということだった。

こういうのが一番怖い。ステロイドを打つことによる俺の血糖値の上昇について誰も責任を負ってくれない。

 

その夜、顔が熱く、手足の先がしびれて眠れたもんじゃない。じっとしている。ただ、じっとしている。時間が過ぎているのか、時間がたっていないのかもよくわからない。自分が眠っているのか、起きているのかそれも曖昧なまま、鳥の声で朝になったことを知る。

朝だ。起き上がって会社に行かないといけない。

そして、一番つらいのは、ベッドから起き上がるときだ。

「さて起きないと」と思うが、起きられない。気合を入れて、「よ~し」と思うのだが、やはり起きられない。それでもと気を取り直して、また「よ~し、ガンバルぞ」と力を入れる。それを繰り返して何度目かで、やっとベッドから起き上がることができる。そして一歩、一歩、転ばないように、細心の注意を払いながら階段を降りていく。

こんな感じで全く眠れない日が、ジェムザールを打ってから2日ほど続く。これがかなり体力を失う原因になるんじゃないかと思っていた。

 

それでも、その頃は「まだ退院して間もないんだ。これから少しずつよくなるんだ。」そんな思いが、心のどこかにあったんだろう、今の自分の情けない姿を必ず克服できると思っていた。 自分はあと1年で死ぬんだと思っていた。しかし、人間、不思議なもので退院してきて、何にもできないまま、ベッドに寝たままで死んでいくとは誰も思っていない。退院してくると、一度は元気になると思っている。癌が転移するなりして死に至るにしても、一度は元気になると思い込んでいる。私もそうだった。だから、その元気なうちに「やらなければならない事」をするつもりでいた。そうでなければ手術なんてしたって意味がない。死ぬとわかっていて手術するのは、「やらなければならない事」をする時間稼ぎなのだ。

 

ジェムザールを打ってから3~4日後が一番つらく感じた。

だから週の半ばに抗ガン剤治療を受けると、その週末の土日は全く動けなくなった。

10時過ぎまでベッドでごろごろしているだけ、起き上がる気力が出ない。

低血糖を心配して妻が起こしにきてくれるまで、ゴロゴロしているありさまだ。

そしてまた月曜日が始まる。

手術後、声がかすれてしまって、ちゃんと声が出なくなってしまった。電話も、パートさんたちへの指示も、本当に気合を入れてでかい声でないと伝わらなくなってしまった。普通に話すと声にならなくて、「はい?」とか「エッ?」と何度も聞き直されてしまう。困った。声が出ないと、こんなに仕事がやりづらいとは思わなかった。

 

ジェムザールは、劇的に苦しくなるわけではない。だが、じわりじわりと体をおかしてくる。

疲れ果てた感じがずっと続く、

寝るときになると手足の指先にしびれが出てくる。

眠れない日々が続くのに、なぜか昼間に眠たいとは思わない。

そんな日が続くと、だんだんイライラしてくる。

知らず知らずに周りの人に、そのイライラを感じさせてしまう。

私の周りで私がすい臓がんだ知っているのは妻と息子だけだ。

 

クマ先生が言った。

「ジェムはね、副作用は少ないけど、な~んとなく、打つと結構生きているね~」

 

(つづく)


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⑥復活に向かう喜び

 退院して数週間たった。

少しずつだが、体が軽くなってくる。一歩一歩、足を引きずるように歩いていた足が、少しずつ上がるようになってきた。

 

ある通院日、病院の待合室で長椅子に座っていると、一人の男に声をかけられた。

「化学療法をされているんですよね?」

「はい」と答えると

「失礼ですが、どこの癌ですか?」と彼はづけづけと聞いてくる。

そんなことを本人に聞くか?と思いつつも、どうせ、ここの待合室はほとんどが癌患者で化学療法の部屋へ入る人たちだ。まあいいやと思い

「膵癌です。」と正直に答えた。

「切ったんですか?」とさらに突っ込んでくる。

「全部取りました」と、また正直に答えた。

「私もそうなんです。」と、言う彼の表情が、少しだけ嬉しそうに見えた。

きっと、同病相あわれむということなのだろう

私は、この種の人はどうも苦手なのだ。できれば、ひとりにしておいてほしい。

でも、彼は話を続ける

「いや~ね、見ていると、とても元気そうに見えるものでね、何か特別なことをされているなら教えていただきたくて…」と

「いえいえ、何もしていませんよ。ただ、ジェムザールを打っているだけ」と答えると

「担当の先生は?」と尋ねてくる

「クマ先生です」と答えると、彼の表情は一気に曇った。そして言う

「クマさんか、私と同じですね。だめだね~あの人…」と

「まあ、仕方ないですよ。あの人しかいないんですから」と、同調するように答えておいた。

やっぱり、患者に対して「死ぬ」とか「まだ生きてる」などという言葉を吐く医師は、好かれるはずがない。

このオッサン、早くどっかへ行ってくれねえかな~と思っていたら運良く、呼び出し放送が入り、彼の大嫌いなクマ先生に呼ばれて診察室に入っていった。

 

で、思った。

「俺って、そんなに元気に見えるんだ~」と

彼のことはどうでもいいんだが、その「元気に見える」という一言が嬉しかった。すごく嬉しかった。

 

そして、私の診察の番が回ってきた。この先生、いつものように

「順調にというかね、癌マーカーの数値は上がってきているね」とのっけから、厳しいことを言う

見ると、パソコン画面に、右肩上がりの3本の線がグラフに出ていた。

「やっぱりな~癌(がん)は出てくるんだ」なんて思った。

そのほかにもいろいろクマ先生に言われたけれど、そのときはさっきの「元気そうに見える」の一言で、私の機嫌が良かったせいもあって、腹も立たなかった。

そうだ、と思って

「先生、何だか首のところと背中がかゆいんですが、これはジェムザールのせいですかね?」と尋ねてみると

クマ先生あっさり、

「それじゃあ、かゆみ止めを出しておきますよ」と言ってくれた。

「ほう、機嫌いいじゅん」と思ってさらに言ってみた。

「先生ね、あのステロイドとかいう点滴は、血糖値を上げるんでしょう、やめることって、できるんですか?」

「うん、やめてもいいんだけど、吐き気とかしない?」と先生

「吐き気はあまりないし、それより血糖値がひどいときには600とかに上がるんですよ。もう顔がカーとしちゃって、眠れないんです。」と強く訴えてみた。

「うんじゃぁ。1回やめてみるか。それでどっちがいいか、様子を見てみようかね」とクマ先生。

言ってみるもんですね。

これでステロイドの点滴をやめることが決まった。

 

さて、私もその結果がどうなるかわからないが、やめてみることにした。

これで血糖値が下がってくれれば、余計な医療費だってかからないし、点滴の時間も減ると一挙両得どころか、一挙三得だ。

 

結果、その夜の血糖値は何とか400台でおさまってくれた。

600から400だから、かなりよくなってくれた。

しかし症状は同じで一晩眠れたもんじゃなかった。。。いつものように、鳥のさえずりで朝が来たことを知り、徹夜で仕事に行くことになる。

 

それでも、何か、自分は良くなってきている感じがした。

「復活だ!」なんて思った。

 

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浅く、薄く、嬉しくなった。

 

(つづく)


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