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楽しく生きるブログ

すい臓がんに負けないためのブログです。2013年秋、ステージ4Aのすい臓がんを宣告され、すい臓全摘出、十二指腸・胆管・胆のう・ひ臓全摘出、胃3分1摘出の手術をしました。術後、余命1年の宣告からゲルソン療法と黒焼き玄米茶に出会い、一度は腹膜に転移した癌が消え、現在、4年が経過しましたが、仕事もしながらちゃんと生きています。あなたも希望を捨てず、前向きに生きていきましょう。
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①絶望の中、手術を選択

俺は・・・・死ぬんだ

そう思った瞬間、医師は再び話し出した

〇外科医「膵がんは、発見するのが難しくてね、うちの病院のがん検診に何年も来られていたのに、結局わからなかって、手術できなかった方もいらっしゃいますからね~」と、なぐさめなのか、何だかよくわからないことを言っていた。

そして話は進む

〇外科医「で、手術なんですが、ここの部分まで、大体すい臓の3分の2ぐらいを切除することになると思います。」

〇私「はい…」

〇外科医「手術しますか?」

がん治療に対して、何にも知識がない。ただ、がん治療には手術が一番で、次が放射線で、やっても苦痛ばっかりで意味がないのが抗ガン剤治療、そう思っていた。このままほうっておくときっと死ぬんだろうと思った。まだ、今は死ぬわけにはいかない。その場で、手術することを決断した。

〇私「お願いします。」

〇外科医「え~と手術日はね、膵がんは進行が早いので、手術は少しでも早いほうがいいですからね、10月〇○日、木曜日になります。いいですかね。」とあっさり予定が決まった。きっと、診察前にもう手術日を決めていたに違いない。

膵がんは進行が早いんだ。知らなかった。

〇外科医「あとの入院のことやら、細かいことは看護師さんから説明があります。はい、それでは…」

〇私「あの~先生、背中が痛むので、何か薬をいただけませんか。」と、意外にもそんなことが口から出た。

〇外科医「はいはい、痛み止めを出しておきます。はい、それでは…」と、さっさと診察室を追い出されてしまった。

 

待合室の長椅子に腰かけると、体が震えだした。プルプル、プルプル、いいおっさんが子犬のように震えた。みっともないと思っても、とまらない。

すると、看護師が来てくれた。

〇看護師「橋本さん、大丈夫?」、80のじいさんに話しかけるように、赤ちゃん言葉で尋ねてくれた。もうムッとする余裕すらなかった。

〇私「あっ、はい、大丈夫です。」

その看護師に別室に案内されて、また入院のいろんな書類をたくさん説明しながらくれた。何にも頭に入らなかった。

 

車に乗り、会社に戻ってきた。

 

他の従業員が帰った後、やはり心配そうに、妻が

「どうだったの?」と聞いてくれた。言葉が出なかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。妻に悪くて、悪くて…でも、言わないと。

「すい臓がんだった」と言った。妻は、何も言わなかった。いや、何も言えなかったんだと思う、、、最悪の、最も考えたくない、最悪の事態だったから。

私は、間を消すように話し出した。

〇私「手術するんだよ、10月〇○日に、手術」

〇妻「手術で治るの?」

〇私「そうだよ、手術するんだもん」

〇妻「そう…」

〇私「俺、母親が胃がんだったから、俺もそうなのかと思ってたよ。すい臓がんって、よくわからないんだよね。」

まだ、2人ともすい臓がんというものの怖ろしさを知らなかった。

 

【すい臓がん】

5年生存率3%

再発率、手術後90%

 

そんな数字も知らなかった。

 

(つづく)

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②手術まで

手術の2日前に入院しました。

今度の入院はちょっと長くなりそうなので、しっかりと用意しました。

今日は、何にもすることがない。本当に何にもない。なんで、この日に入院するのかわからない。ただ、空いたベッドを埋めたかっただけなのかもしれない?

 

私が入院した病室の階は消化器系の患者が入る区域なんだそうです。病室は結構きれいにしてあります。窓も広くて、明るい日が入ってきます。私はこの病室では一番新入りですから、私のベッドは例のごとくトイレの横の病室です。窓ぎわがいいな~なんて思いましたが、そこは古株が居座るところ、できれば居座りたくないので、ここで十分です。

医師が入ってきて、窓ぎわの患者と話をしていました。どうも大腸がんのようです。これも例のごとく、この病院、ベッドごとのカーテンをしっかり閉めています。隣は誰?って感じでさっぱりわかりません。

患者さん、親しそうに

「先生に去年手術していただたいんですけど…」と言っていた。ほんとかよ…1年で戻ってきちまったのか?

そしてもう1人の窓ぎわ患者は、声からすると年は65歳過ぎ、何の病気かはわからないが、もう数カ月も入院しているらしい。奥さんが見舞に来ていた。

「そろそろ帰って、家でゆっくり…」と旦那さん

すると奥さん

「帰ってこられてもね、世話する人がいないからね。困るじゃん」だって…。意外に冷たいが、でもそうなんだろうなと思った。退院してこられてたら自分は働きに出られないということだった。

 

入院もこれで3度目になり、この病院のやり方が少しわかってきた。

大部屋の病室は4人部屋なのだが、手術をした患者と、これから手術する患者が混ざっている。で、手術をするときには、家族が病室のすべての荷物を持って待機所で待機している。そして手術後の患者のはその同じ病室には戻ってこないのだ。違う病室に入るのだ。

なぜ?

それは手術室に行き、そのまま帰らぬ人となる患者がいるからだった。

もし、手術後も同じ病室に戻るシステムなら、周りの患者たちは、手術した患者が成功したのか、それとも失敗して帰らぬ人となったのかがすぐわかってしまうからだ。

えっ、そんなことは常識?

私は、この病気になるまで入院なんてしたこともないし、ましてや手術もしたことがない。つまり本当の素人?なんです。

素人ついでに、もう1つ、私、男性の看護師にお会いするのも今回が初めてでした。なんせ昭和の人間ですから、看護師さんというより、看護婦さんの時代でしたのでなんか違和感あったんですよね。でもね、ここの男性看護師さん、みんな背が高くてイケメンなんですよ。まあ関係ないですけどね。

 

さて、あまりにも暇です。何にもすることがない。テレビばかり見ていても、お金がかかるだけです。

ブラブラすることにしました。この病院には家族や友人・知人などが見舞にきたときに談話するラウンジスペースがあるんですが、そこへ行ってみました。すると、この階のラウンジには雑誌や単行本などがたくさん置いてあるんです。これはいいや、別に最新の雑誌なんて要らないから古いやつをちょっとお借りしようと、1冊、男性週刊誌を拝借して病室に戻ってきました。

 

そんなこんなしていると夕方です。

仕事の帰りに妻が寄ってくれました。

これからしばらくは仕事を1人で切り盛りしてもらわないといけません。彼女はメモにいっぱいいろんなことを書いて、一つずつ私に質問します。私はそれに対して一つずつ答えていきます。

こんなことなら、ちゃんとあの書類もまとめておけばよかった。

こんなことなら、あの機械の使い方もちゃんと教えておけばよかった。

こんなことなら、伝票の出し方も簡略化しておけばよかった。

さすがに涙が出そうになりました。

大変だろうな~本当に申しわけない気持ちでいっぱいになりました。

 

少しずつ、私の心の中に「死」という言葉が浮かび上がってくるようになりました。

そして、その都度、強く思いました。

「死んでたまるか」

 

明日は、いよいよ手術の説明です。

 

(つづく)


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③執刀医の手術の説明

次の日、

 

きょうは、執刀医が手術の説明をしてくれることになっている。そこで私と家族がOKを出せば、「契約成立」ではないけれども、正式に手術に合意したことになる。説明の時間まであと30分ぐらいのとき、妻が来てくれた。すると、その後ろに、あれ?そこには息子がいた。ことし東京の大学を卒業して就職したばかりの息子がひょっこりと来ていた。

彼には、心配させたくないと思い、実は詳しいことは話していなかった。

「よ~!」とか言ってしまった。

妻から概要は聞いているようで、何だか神妙なおももちで「大丈夫?」と言ってくれた。

「大丈夫じゃねえな~」と、下手くそに笑った。

 

大部屋病室でしゃべるのも周りの迷惑になると思い、ラウンジに出ることにした。

窓ぎわのテーブル席に座った。大きな窓の外は、とってもいい天気で、きれいな風景が広がっていた。10月か、そろそろ秋の気配です。

「仕事はどうだい?」と聞くと

息子「うん、今、現場に行ってるんだ。失敗ばっか…へへへ」

彼の話を聞きながら、自分の新入社員のころを思い出したりしていた。しんどかった。本当にしんどかった。けど、楽しかった。とても楽しい生活だった。

息子技術系で採用された。同じ技術系の新人のほとんどが、研究開発や設計系統に希望するのだが、彼は現場を選択したんだとか。その理由が、どうも後で聞いた話だと、彼が小さいころ、私が酔っ払って、昔の会社勤めの話をしたらしく、そのときの現場での話がとてもおもしろそうだったから、俺も現場を選んだ、ということだった。いやはや、子供の人生を変えるような、たわ言を言っていたらしい。


そんなたわいもない話をしていると、看護師さんが呼びに来てくれた。

「橋本さん、そろそろ先生が来られますので、相談室の方にお願いします。」

3人そろって、相談室というところに案内された。

大きな会議用のテーブル1つに椅子が何脚があり、上座にパソコンが置いてあった。パソコンは既に電源が入っており、いつでもOKという感じでした。

数分後、担当医が来た。もちろん、あの外科の先生だ。顔が熊みたいなので、クマ先生としよう。

 

クマ先生「遅くなりました。いいですか?」と、入ってくるやいなや、パソコンの操作を始めた。

そして、息子の方を見て

クマ先生「いいですか、息子さんですか?」と聞いてきた。多分、息子に父親の命にかかわる手術のことを伝えてもいいのか?ということだと思った。

私「はい、彼はもう社会人ですから、話は聞かせてください。」

クマ先生「わかりました。」

先生の説明は始まった。

「これが前回のCTの画像です。ここがすい臓で、ここは膵尾部というんですが、このつぶれた部分の上からずっとこの部分ががんです。」と今度は「腫瘍」という言葉ではなく、はっきり「がん」という言葉を使った。

息子と妻がじっと画面を見ている。

「こんなに大きくなっちゃっています。ほら、こんなところに勝手に血管までつくっているんです。」と、何やら白い線を指差した。どうも、かんというのは自分の栄養を補給するために、勝手に血管をつくって栄養の横取りをするんだそうだ。

「すい臓をこの辺から切除します。転移のおそれがありますから、ひ臓も取ってしまいます。」と、ここまでは前回、私だけは聞いた話だった。

ずっとパソコンのモニターを見ていたクマ先生、私の方を向いて

「橋本さん、すい臓を取るとね、糖尿病になるんですよ。多分、橋本さんの程度だと薬だけで大丈夫だと思うんですけどね」

私「あっ、そうらしいですね、はい。」

ネットで調べて、その程度の予備知識はあった。すい臓自体が胃の裏側にあったり、大切な血管が密集したりして、すい臓がんの手術はとても難易度が高いらしいのです。結構な総合病院でもすい臓がんの手術は拒否されるところが多いとか。そして手術が成功したところで、術後の予後(よご)、予後という言葉自体も知らなかった。予後というのは術後の病状のことをいうそうだ。その予後はがんの中でも最も悪いとされている。そして一般的に使われている5年生存率で3%、余りにその数値が悪いので、すい臓がんだけは特別に「3年生存率」というのを使うということも知った。


クマ先生「何か質問はありますか?」

私「入院とどのくらいになりそうですか?」

クマ先生「1ヶ月かな~」

クマ先生「それでね、この手術は、手術をして、元のように元気になれるという手術ではなくてね、少しでも長く生きてもらおうという手術ですのでね。よく言われる5年生存率5%とか、3%とかいうのを少しでも延ばしていただいてね。」

それを聞いて息子の顔色がどんどん青ざめていくのがわかった。

クマ先生「では、説明はこれで終わりです。了承いただけますか?」

私「はい」

妻の方を見ると下を向き黙ったままだった。

妻「…」

涙がこぼれていた。

 

その姿を見て。手術入院する2~3日前のことを思い出した。

2人ともネットでいろいろ調べ、少しずつ少しずつ、いかにすい臓がんがたちの悪い病気なのかわかってきていた。私も胃がんの手術を受けて二十年も元気に生活している自分の母親を知っている。その程度だろうと思っていた。ところが、そんなもんじゃなかった。2人の会話もグッと減っていた。そんなとき、こんな会話になった。

私「手術してくれるだけども、いいじゃんね。断るところが多いらしいから。」

妻「うん、いろいろ調べたけど、有名な病院とか行く気ない?関西とかにも有名な先生がいる病院があるけど…」

私「いや~そんな気はないな」

妻「そう。あの病院で大丈夫?」

私「この県内で実績があるのはそんなにないからな~都会に行くにもお金がかかるし。。それもそうだけど、ちょっと仕事の件で…」

妻「私、できるかな~」

私「悪いけど、退院してくるまで、何とか踏ん張ってくれよ、頼むわ。もし死んだら…」

妻「そんなん、困る。」

私「いや、万が一のことも考えて…」

妻「約束したもん。結婚するとき、私より絶対先に死なへんって約束したもん。」妻は泣いていた。

私「すまん。…俺かって、俺かって、なりたくて、こんな病気になったわけやないんや。。」涙をこらえることができなかった。

 

外科医は、ずっと妻の方を見ていた。

しばらくして、妻は涙を拭き、目を上げ、医師をぐっと見据えて言った。

「先生、夫のこと、よろしく…よろしく…おねがいします」と深々と頭を下げていた。

 

私は、正式に手術することに決まった。

 

(つづく)


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④膵体尾部切除術

 私が、受ける手術は「膵体尾部切除術」というものでした。

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上の図の、赤で塗ったところがすい臓が癌に冒されたところです。黒い線の部分ですい臓だけ切除するという手術です。大変な手術です。

 

ところが、

こんな、とんでもないことが自分自身に起きているのに、実は私の中では、「フ~、すぐには死なないかもしれない…」と意外にラッキーだと思っていたのです。それはなぜかと言うと、膵がん(すい臓がん)は発見されるのが難しく、発見されたときには手おくれで、手術すらできないという人が何と全体の80%にも及ぶということをネット知識で知っていました。

ということは、私は手術ができる20%の人の中に入っていたということで、「ラッキー」なんだと、そのときは思ったんでしょうね。

 

手術の前日

看護師が手術に関する書類を持ってきてくれた。

同意書や保証人や緊急連絡先など、いろんな書類を、また記入しなければいけない。まあ、仕方ないことです。

 

別の看護師さんが来て、下の毛を剃るという…まあ、それも仕方ない。電気バリカンのようなものでジャ~ンー、アッと言う間に終わった。手術というものが初めてですから、その剃毛(ていもう)というのも初めてです。結構、はずかしいです。

そして、今夜から食事は抜きです。

さらに、下剤を飲み、腹の中にあるものを全部出す。

 

夕方、

妻が仕事を終えてから来てくれました。

カーテンを開け、「どう?」と聞いてくれました。

「おー、お疲れさんやったな~」と私

私は、昼間あった、「下の毛電気バリカン事件」をおもしろおかしく、ネタにして妻に話していました。

妻は、周りに気遣いながら、笑いを押し殺してクスクス笑ってくれました。

ひと段落して、

妻は、メモを見ながら、話し出しました。仕事の話でした。

お客様からの問い合わせ、要求など、いろんな電話があって、それに対してどう対処すべきなのか、1つずつ聞いていきます。

私は、それに対して一つずつ答えていきました。中には無理難題もあります。

「そんなこと、できるわけない~無理、無理」と、言いつつも、何とかしなきゃいけない。とりあえず、これでやってみてくれと、対応策を話します。妻は、不安そうに、私の話をメモしています。そんな会話が何分も続きます。

少しずつ、自分が何もできない、手を出せないことにイライラしてきます。冷静に冷静になろうとするんですが…。妻に伝わってしまったようです。

妻「ごめんね…こんなときに…」

いや、悪いのはオレの方で…癌(がん)なんかになっちまったオレのせいで…。罪悪感いっぱいになってしまった。

明日の手術の時間を確認して、妻は帰っていった。

 

食事もなく、することもなく、ただテレビを見ていた。すると、

看護師が説明していたとおり、痲酔の先生が来て、手術のときの痲酔の説明をしてくれた。

手術のときは、「硬膜外麻酔」といって、背中からせき髄の間に針を刺して痲酔をするんだそうだ。手術が終わっても、しばらくはそのままにしておいて、痛みの激しいときには麻酔薬を入れてくれるんだそうだ。

とにかく、全身麻酔は前回の検査入院のときに一度やっているので、「な~んにもわからなくなる」のは、一番怖くないので逆に安心です。

 

チャイムの音がした。消灯の時間だ。

 

明日は、手術だ

やっと手術だ!

「さっさとやって、すっきりしようぜ!」

 

そのときは、本当にそう思っていた。とんでもないことになることも知らずに…

(つづく)


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⑤「膵体尾部切除術」から急遽「膵全摘術」へ変更

手術当日の朝です。

 

例のごとく、大部屋には必ず大いびきの奴がいます。それに検査入院のときにいた「夜中に叫ぶ奴」も健在で、眠れたもんじゃない。


男性のイケメン看護師さんが検温と血圧測定をしに来てくれた。

彼が、とてもすがすがしい青年なので、柄にもなく

「看護師さんは何年目ですか?」なんて聞いてしまった。

看護師さん「2年目です」と、にこやかに答えてくれた。

「大変な仕事ですけど、頑張ってくださいね」なんて言ってしまった。

ふだんなら、絶対言いそうにないようなことをサラッと言ってしまうあたり、やはり今日は特別な日なのかもしれない。

 

それにしても腹が減った…。

周りでは朝食が配膳されていた。でも、ここは内科、それも消化器内科です。周りは、みんな何かしら消化器の手術を受けた人ばかり、いろんな制限を掛けられた食事で我慢している患者ばかりなんです。だって「おかゆ」のにおいが部屋中にするんです。それに引きかえ、外科なんかはきっと通常食で結構うまいんだろうな~。


空腹を紛らわすのにテレビをつけて、朝ドラを見ていた。

すると今度は、結構年配の女性看護師さんが来た。

「師長の〇○です。どうですか?眠れましたか?」と尋ねてくれた。

師長?…ピンと来なかった。あっ、婦長さんだ。その辺が昔の人間ですね。師長という言葉が頭になかったんです。失礼しました。で、掛けられた言葉に正直に

「いや~眠れませんでした。」と答えると、師長さんやっぱり勘違いされて

「そうですよね、手術前ですから、それは仕方ないですね。」と、

「いや~そうじゃなくて…」とさらに正直に答えると、師長さんが不思議な顔をしている。

ヒソヒソ声で「イビキがひどいんですよ~ハハハ」と話した。師長さん、急にニコッと笑って

「それは大変でしたね、フフフ…」と同じようにヒソヒソ話です。

さらに彼女は

「執刀医のクマ先生は、腕は病院一です。安心してください。」と励ましてくれた。

私が、「はい」と力無く答えると、彼女は会釈して病室から出ていった。

手術前には、わざわざ師長さんが激励に来るのがこの病院の通例なのかもしれません。なんか嬉しかった。

 

妻が来てくれた。

やっぱり同じことを聞いてくれた。

「眠れた?」と

で、私も同じことを答えた。

「そこのおっさんのイビキがスゲーんだよ、寝れるかよ…」と

 

前日、看護師が説明してくれたとおりに、手術を受ける準備に取りかかった。

手術着に着替え、一応トイレに行き、ベッドで待っていた。

妻は、病室にある私の荷物をすべて、バッグに入れ、引越の用意をしてくれています。

手術が終わったら、患者は違う病室に移るんです。同じ病室に戻ってくるシステムだと、万が一、手術失敗、万が一というか、総合病院ではよくあることなのかもしれませんが、患者が死亡した場合、ここには戻ってこなくなり、病室の他の皆さんに全部わかってしまうからです。それでは病室の皆さん、意気消沈ですもんね。

 

男性の看護師が車椅子を押して来てくれた。

看護師さん「橋本さん、用意、あっ、ちゃんとできていますね。では、橋本さんはこの車椅子に座ってください。奥さんは、別の看護師がご案内する待機室でお待ちください。」と言って、私を車椅子に誘導してくれた。これまた生まれて初めての経験です。

車椅子に座り、看護師に押してもらいながら、エレベーターの前まで行くと

看護師「それでは、奥さんとはここまでです。」と言いながら、エレベーターのボタンを押した。

「チ~ン」という軽い音とともに、エレベーターの扉が開いた。私の車椅子は、スーとエレベーターに入っていき、クルッと扉の方を向いた。

エレベータの扉の前には、大きなバッグを持ち、神妙な面もちの妻が立っていた。手には、看護師から渡された携帯電話を握っていた。手術中、何かあったときに医師から連絡が入るのだそだ。できれば、何事もなく、そんなものは鳴らないでほしいものだ。

 

「じゃあ、行ってくるわ」

妻「うん、頑張って」と手を振ってくれた。

 

エレベーターは下がっていき、手術室の階についた。

扉が開き、スーと車椅子が進む。誰もいない。本当に静かなところだった。幾つかの角を曲がると、第一手術室、第二手術室、第三手術室と掲示がある。

第一手術室のドアが開き、中へ入っていった。

簡単な受け付けのようなところで、車椅子を押してくれていた男性看護師と、受け付けの看護師が、確認作業を始めた。受け付けの看護師が、バーコードリーダーで私の左腕についた認識票を読み取る。「ピッ」という音がして、確認完了。

前にあったオートドアが開いた。中は、ハッとするほど明るい部屋だった。そこで車椅子を降りて歩いて手術台に向かった。歩きながら、

「これが手術室なんだ」と周りを見回した。テレビドラマとおんなじだと、ひどく感心した。ただ、テレビドラマだと、よく上の方から手術を見られるように窓になっているところがあるが、ここにはそれがなかった。ああいうのは大学病院にあるのかもしれないなんて、のんきなことを考えていた。

 

手術台に乗った。意外に小さい。大男だと、これじゃあ足りないかもしれない。

横になると、看護師たちが顔のところに目かくし用のカーキー色の布を張ったり、手術着を脱がしたりと準備をしてくれた。

そんな準備が済むと、さすがに緊張してきた。


麻酔医の先生が私の耳元で話しはじめた。

「橋本さん、麻酔医の〇○です。ちょっと横を向いてくださいね~」

看護師に介助されながら、横を向く、体にカーキー色の布が被せられた。あのカーキー色がよくないな、布も看護師の制服もみんなこの色だ。それだけでテレビの手術シーンを思い出して、緊張してしまう。

麻酔医「ちょっとチクッとしますからね~」

 

背中にチクッと針が刺さる感触がした。

 

私の記憶はそこから先はなくなった。

 

ここから先は、その後の妻の話をまとめたものです。


手術を開始して、かなり時間がたったころ、待機室で待っていた妻が持っていた携帯が鳴った。

執刀医からの連絡だった。

話の内容は、

おなかを開いてみたところ、がんの進行は予想以上で、膵臓全体に覆いかぶさるように存在していて、私たちが聞いていた膵体尾部切除では、がんが残ってしまう。膵臓の全摘出をしてもいいですか?という妻への問い合わせだった。

そんなこと聞かれても、妻にわかるわけもなく、妻だけでなく、誰だってわかりっこない。でも、承認が必要だということなので、妻は

「お願いします」と全摘出を選択してくれた。


膵全適術 

この手術は、すい臓だけでなく、周囲の十二指腸や胃、腸の一部、胆のう、ひ臓、リンパ節なども摘出してしまいます。

すい臓を失うことで消化酵素やホルモンを分泌する機能が失われ、完全な糖尿病状態になり、手術後の生活では消化酵素薬やインスリン注射が一生必要になります。

当初の膵体尾部切除術とは、比較にならないくらい難度の高い手術になってしまった。 


私は、そんなことも知らず、ただ眠っているだけでした。

 

(つづく)



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⑥ついに狂ってしまった

手術は終わった。

今、私は生きているので、手術は成功したのだ。

 

目がさめた。

ふわ~とした感じで、何の感触もなかった。メガネも外されているので、余計ぼんやりとしか見えない。腕はベッドにベルトのようなもので拘束されて動かせなかった。ピッピッピッ…と音が鳴り続いていた。

忙しそうにしている看護師が、私の顔をのぞき込んで何か言ったが、何と言っているのかよくわからなかった。

ふわっと、ふわっとした感じで、また眠ってしまった。

妻が後で教えてくれた。私はICU(集中治療室)にいたのだ。そしてずっと睡眠剤を打たれて、ほとんど眠ってばかりいたそうだ。

 

また目が覚めた。

今度は妻の顔が見えた。私の顔をのぞき込んでいた。何か言っているのか?私も自分で何を言ったか覚えていない。

また、眠ってしまった。

 

目が覚めた。

少し意識がはっきりしてきた。ここはいつも明るい、今は昼なのか夜なのか全くわかない。周りを見ても、起き上がることもできないため、上しか見えない。何が何だかさっぱりわからない。

看護師さんが、私の顔をのぞき込んで話し掛けてくれた。子供がどうとか、こうとか、そんな話をしてくれたような気がする。

 

目が覚めた。

今度は、看護師2人が来て、ベッドの周りのカーテンを閉め、

「橋本さん、体、洗おうね」と言って、

あれよあれよという間に、頭を少し下にして、下半身を持ち上げて、せっけんいっぱいつけて下半身を洗ってくれた。

あっという間、だった。恥ずかしかった。こんなオッサンになって、さらにこんな状態なのに、恥ずかしいと思うんだ。

 

後で、妻に教えてもらった。

私は8日間もこのICUにいたのだ。当初はもっと早くICUから次の段階のHCU(準集中治療室・ハイケアユニット)という病室に移るのだそうだが、HCUが空かないため、ずっとICUに残されたままだったというのだ。妻は毎日、指定された時間に見舞に来てくれたそうなのだが、申しわけないが、私は、睡眠剤で眠らされてばかりいたので、その記憶がほとんどない。

 

9日目、やっとICUからHCUに移動できた。

やっと次の段階だ。

この時期、そういう「次の段階」というのがとても嬉しく感じた。こんなのは…そう、車の免許を取りに教習所に通ったとき以来だ。あの興奮覚えていますか?

教官から「はい、橋本さん、合格です。次の段階ですね」と言われる快感!あれあれ。

 

ところが、そのHCUで大変なことが起こってしまうのです。

私が、狂ってしまったんです。


睡眠剤によって、ずっと眠らされていたときと違い、今度は朝起きて、夜眠るという普通のサイクルに戻さないといけないんですが、それがなかなか戻らない。昼なのに眠ってしまう。夜中じゅうずっと起きている、だが、周りは真っ暗な状態です。

そしてここでもICUと同じように、体中にいろんなものをつけられ、いつも「ピッピッピッ」と音がし、酸素マスクをつけられ、そこから乾燥を防ぐためなのか霧のようなものが出てきます。そこからも音がするんです。ずっとずっと同じ音が鳴り続けます。真っ暗な状態で、そんな音を聴き続けていると、その音が次第に人の声のように聞こえてきます。いや、何かビデオゲームの効果音のようにも聞こえてくるんです。

夜中じゅう、ずっと一人で夢なのか現実なのか区別がつかなくなってきます。

 

そして、ある夜中、ついに、私は看護師を呼びつけた。

「このマスク外してください。ゲームの音がするんです」

は~?というような怪訝な表情で看護師

「そんな音しないよ、大丈夫だからね、ちゃんとこれしないといけないの~ね」と

でも、そのとき半分狂ってしまった私は、そんな「でちゅよ~」言葉で騙されないぞ~と

「ほら、聞いてみれくれよ、ゲームの音がするだろう」と、自分でマスクを振り払ってしまいました。

看護師は、とっとと消えてしまいました。

「ちくしょう、バカにしやがって」と思っていると

その看護師が、いろいろ抱えてきました。そして、新しい酸素マスクを出し、新しいホースを別の酸素供給口につなぎ、

「じゃあ、橋本さん、これはもうしないから、こっちの新しいマスクをしてくれる?」と私に聞いた。私は、それでも何か信じられずに

「じゃあ、ちょっとやってみて」

看護師は、新しいマスクを私につけた。

音が消えた!あのず~と鳴り続けていたビデオゲームの効果音が消えたんです。嬉しかった。これで夜に眠れると思ったんです。

「あ、消えた。これでいい」と看護師に言うと

「はい、もう遅いからね、ちゃんと寝てくださいね」と、言って、立ち去った。

今考えれば、そんなビデオゲームの音がする酸素マスクなんてあるはずがない。人のささやき声がする機械なんてつけるはずがないんですが、そのときはやはり精神的におかしくなっているんです。そう聞こえるし、そう思ってしまう。

 

そして別の日の昼です

まだ、昼間に眠ってしまうくせが抜けず、眠っていた。何か人の会話で目が覚めました。隣から聞こえる。隣と言ってもカーテンで仕切られているだけだから、会話は丸聞こえだ。

どうも、お金の話をしていた。救急で来たはいいけど、お金がないから、取りに帰ってくると、男性の声でした。

いやだ、置いていかないでちょうだいと女声の声

その女性が話を始めた。ここに来たのは初めてで、急にぐあいが悪くなってしまったとか。

 

昼間眠ってしまうくせがつくと、昼間なのに睡眠をじゃまされる行為に自然に腹が立ってしまうようになってしまった。

例えば、看護師の検温などでも、「人が寝てんのに、何だよ」とか思ってしまう。

なので、隣のそのヒソヒソ話がかんにさわっていた。

 

看護師が来たときに、ちょっと腹を立てて、その話をした。

「隣がうるさいんだよ~」、

すると看護師は

「橋本さん、隣はだれもいないですよ。」

 

私はやはり狂っていた。

 

(つづく)


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