楽しく生きるブログ

すい臓がんに負けないためのブログです。2013年秋、ステージ4Aのすい臓がんを宣告され、すい臓全摘出、十二指腸・胆管・胆のう・ひ臓全摘出、胃3分1摘出の手術をしました。術後、余命1年の宣告からゲルソン療法と黒焼き玄米茶に出会い、一度は腹膜に転移した癌が消え、現在、3年が経過しましたが、仕事もしながらちゃんと生きています。あなたも希望を捨てず、前向きに生きていきましょう。
-

大型連休は忙しい

 春なのに、今年も花見にも行けなかった。

まあ、私はいつも花見に行っているわけではないので、それはそれでいいんだが、妻までどこにも行けないのは、やはりかわいそう。。。

なんて思っていたら、もう大型連休が間近になった。

 

私は、できれば、いつ死んでもおかしくないと医者に言われた実父の見舞にく行きたかった。

でも、抗がん剤の副作用はともかく、今は大腸の詰まりが怖くてとても遠出ができる状態ではない。

 

妻は妻で、やはり実家でひとりで生活しているお母さん(妻の実母)が、どうも認知症ぎみになり、心配なので実家のある市の介護センターに相談に行くとのことです。

実は、妻と私は中学の同級生なので、実家は同じ市内なんです。

それで妻が、私の父の見舞に行ってくれることになりました。

 

私も私で、自分の身から出たサビのせいで、仕事をやってくれていた人が1人辞めてしまったので、仕事しなきゃいけない状態になってしまいました。

 

「来年の連休は、どこかへ旅行したいね」なんて、夫婦ではげまし合っています。

本当に行けたら、いいな~!

スポンサーサイト

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング
-

また、大腸が詰まってしまった

 日曜の朝、トイレに行った。少し便も出た。

だから、遅めではあったが、朝食はいつものように、いつものものを妻がつくってくれたので、そのまま食べた。

そしていつものように

消化剤の「リパクレオン」を4カプセル

痛み止めの「ロキソプロフェンナトリウム」を1錠

胃薬の「レパミピド」を1錠

それに下痢止めカプセルを2カプセル

そして、アヘンチンキを5㏄

これが朝食後の薬です。

 

その後、普通に過ごして

 

昼食の時間

パン食の軽めのもので済ませた。そして昼食後の薬

消化剤の「リパクレオン」を4カプセル

痛み止めの「ロキソプロフェンナトリウム」を1錠

胃薬の「レパミピド」を1錠

そして、アヘンチンキを5㏄

 

そして夕方、あれ…何だか、腹が少し張る気がする。

そう言えば、朝、一度、便が出てからトイレに行っていない。

まずい…また大腸が詰まったのかも?

 

妻に、大腸が詰まっているかもしれないから、便が出るまで夕食は食べないでおくよと伝えた。

いつも6時過ぎには夕食を食べるのだが、その時間になっても、全然便意をもよおさない。トイレに行っても、当然なんにも出ない。

夜7時になっても、同じ、腹の右下が痛み出してきた。小腸から大腸につながっているところから、グルッと大腸が浮き上がって見えるぐらい張ってきてしまった。

「痛い…」

横を向いたり、さすったり、いろいろするが、痛みはどんどん強くなっていく。

夜8時、痛みのほかに、詰まったときの「苦しい~」が加わってきた。

 

妻が、「動いた方がいいんじゃない?」と、何度も言う

言いあいをするのが嫌なので、「うん~」などと生返事でごまかしていたが、

余りに何度も、動け、動けと言うものだから、頭に来た

「痛いんだよ、何もしなくても、痛くて、苦しくて、横を向くことすらできないんだよ、動け、動けって、痛くて動けるないんだよ」と言い返してしまった。

また、余計なことを言ってしまった。

 

11時、このままベッドに横になっても、痛くて眠れるはずもないし、睡眠薬で眠ったにしても、何も食べていないから、今度は低血糖になってしまうのが怖い。とにかく、便が出るまでは寝ない方がよさそうだ。

妻に、先に寝てくれるように言って、ただゴロゴロとタイミングを待った。

 

12時30分、座っていても、横になっていても、痛みと苦しみでどうにもならなくなって、しゃがみ込んでいた。20分ほど、しゃがみこんでいたら、突然

「グル、グルグルグル…」と、すごい痛みとともに、ステントを入れた当たりから音がした。

「ひょっとして、詰まりが通ったのか?」

ステントを入れた当たりを触ると、針で刺されるような痛みがあるんです。動かすとステントと大腸がこすれるのか、刺さるのか、チクチクチクチクとかなり痛い。でも、ここは詰まりを何とかしなければと、ステントのところの痛みをグッとこらえて、マッサージみたいにさすった。グッと押したり、下流の方に向かって強くさすったり、いろいろ試してみた。痛い、、、、でも

「グル、ググググ…」と、しっかり動いている音がした。

痛みをこらえて、ずっと続けていると10分もすると

やっと便意をもよおした。

痛みをこらえて、やっとこトイレに行き、腰かけると

少し固い便がフタのような感じになっていて、そのフタの便がドンと出て、それからみんな水のような下痢便がジャーと流れ出てくる。

「やった、、出た」痛みと苦しさがどんどん引いていく

 

ここで深夜の夕食なのだが、待てよ。こんな少ない量ではまだ心配だな~第2段を待つことにした。

 

深夜1時30分、2回目の便が出た。1回目よりかなり多く出た。

これでもう安心だろう、何か食べないと低血糖になってくる。

でも、腹の中が腫れているような感じで、さっきとは別の痛みがジーンと続いていた。

とても、食事をとる気分になれない。

つくり置きの味噌汁と冷蔵庫にあった茶わん蒸しをレンジで温めて、何とか口にした。

時計を見ると、午前3時だった。

 

食べた瞬間、今度は過度の下痢症状が始まった。

今、食べたものが、もう出てしまった。

アヘンチンキの量と飲むタイミングが本当に難しい。

 

ふらふらになって、ベッドに入った。

明日、、、月曜日かよ、仕事じゃんか、参ったな~

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング
-

わたし、帽子が似合いません

 昨日、仕事から帰ってきて、妻と一緒に夕食の準備をしていると

「ピンポーン」と、ドアチャイムの音

 

「あっ! 宅配さん」と妻

 

「ん、じゃあ、俺が出る」と、フライパンを振っている妻のかわりに表に出る。妻の言ったとおり、宅配便だった。やけに軽いものを渡していった。

何だろう?と思っていると、「帽子、帽子」と妻

 

あっ、そう言えば、室内でもかぶれる、「ハゲ用の帽子が欲しい」なんて言ったことを思い出した。

抗がん剤のアブラキサンの副作用で、体じゅうの毛という毛がじりじりと抜けてきて、スキンヘッドに近づきつつあると、どうも人相が悪くなってきた。

 

毛がなくなると、人によるのだろうけど、ニコニコととても優しそうに見える人と、なんだか人相が悪くなり、周りから「怖い人」と思われてしまう2種類になるようで、私の場合、完全に「怖い人」ないしは「おかしい人」、あるいは「いかれた人」に見えるらしく

「室内でもかぶれる帽子が欲しい」の私の一声で、妻が動いてくれ、すぐ探して

「これがいいんじゃない」と、ネットで見ていた。私も生返事で

「ん~いいねえ」なんていう会話をしたことを覚えている。

楽天さんで買ってくれたそうです。

 

その日、夕食が終わると、妻はうれしそうに、パッケージを開き

「ほらほら、いいじゃん」と、何を思ったのか、自分でかぶって非常に、非常に得意げであります。

それにしても、妻にはよく似合うんですよ。「あれ、かわいいじゃん」なんて、思ってしまった。



「かぶってみてよ」と言われて、調子に乗って、私もかぶってみた。

妻の表情が、ほんの少し、ちょっとだけ…曇ったのを私は見逃さなかった。

「あっ、似合わないんだ」とさとった。

鏡を見てみると、それはそれは「とても残念な結果でした」

どう見ても、さにに「変な人」という印象です。

boushi01

(こんな帽子を買ったんです)

くっそ~負けるものかと、訳のわからない気合が出てきて、鏡を見ながらいろんなかぶり方をしてみました。

すると、最もよかったのは、グッと深く深くかぶり、見える部分を極力減らしたかぶり方が最も、マシなかぶり方だとわかった。

例えると、職人がちょっと色の濃い日本手ぬぐいを頭に巻いているような、そんな感じです。

何だか、複雑な感情が芽生えたが、まあいいや

 

ふと、妻の方を見ると、スマホで

「わたしのも買おうかな~」と、探していました。

 

んんんんん、なるほど…これが妻の愛情というものなのだ~と思いました。

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング
-

焼酎の黒焼き玄米茶割り

昨夜、妻が風呂に入っているときでした。

 

一人で、ユーテューブを見ていると、食レポ専門のユーチューバーさんたちがおられて、その方たちの動画を見ていたら、まあ本当に本当においしそうに食べる動画があるんですね。そして喉がグビグビいうぐらい、うまそうに飲むわ飲むわ。そんな動画を何本か見ていると、、、

 

「俺も飲もうっと」と、

小さめのロックグラスを出し、冷凍庫の氷を入れる。戸棚から焼酎の紙パックを取り出して、グラスに注ぐ!

shouchu01
世の中では焼酎6対ソーダ4の、いわゆる6:4(ロクヨン)割りとかが主流らしいのですが、私の場合2:8(ニハチ)ぐらいの薄い薄い焼酎です。でも、いいんです。飲めれば!

 

 

 さて、つまみになりそうなのものはないか?と、戸棚の中にある小さなダンボール箱。これは私が作った「お菓子箱」です。妻に許可を得て買った、健康食品のたぐいのものや、低糖質のお菓子などをそこに入れているわけです。それ以外のものは間食としては認められないのです。。。。トホホ

そのお菓子箱をごそごそと引っかき回していると、ありました、ありました!

「小魚のつまみ」が2種類、一つはカリッと甘く揚げたあるもの、もう一つは小魚の燻製らしきものです。これが結構いけるんです!

iwashi01

さらに、「チョコ麩(ふ)」が出てきました。コイのえさのような麩(ふ)にチョコをコーティングして甘くしてある、子供のお菓子です。そう言えば、私の子供のころにも、チョコじゃなくて砂糖をコーティングした麩菓子がありました。たしか1本10円とかで駄菓子屋に売っていましたね。

さて、これでつまみもできた!

 

冷えた2:8(ニハチ)の焼酎ソーダ割り、そこにレモンを絞って…あれ、レモンがない。冷蔵庫を探すも、残念ながらレモンはありませんでした。そのかわり、緑色の小瓶に入った、「レモンの絞り汁」なるものを発見! それを1~2滴たらして、完成です。

冷えたロックグラスの氷が「カラン」と鳴る。

shochu02

 

一杯やろうぜ~!

「ゴクリ」と一口目が、本当にうまい!

あっと言う間に、小さなロックグラスの焼酎ソーダはなくなってしまった。

もう一杯ぐらいいいよな~と、、、、

あれあれ、ソーダがなくなってしまった。

 

「そんなことばっかりやってるからすい臓がんになるんだ…」なんて、お叱りの言葉が聞こえてきそうですが、

まあまあ今回は、そんなこと言わず、たま~にしかできない、がん患者の本当に少ない楽しみの一つなんですから。

 

何か焼酎を割るものはないかな~濃い焼酎をそのままロックで飲むのは、さすがに今の私の体にはよくないだろうと、割るものを探していると、冷蔵庫に冷えた黒焼き玄米茶を発見…。。。

黒焼き玄米茶か? 微妙だな~と思いつつ、水よりましだろうと、

焼酎の黒焼き玄米茶割りをつくってしまった。

レモンはきっと入れない方がいいよな~と、レモンはいれずに、

一口目をグビッと飲んでみた。

「んッ…!」意外にいけるじゃん!

もっと、にがいものを想像していたんですが、これが意外にすんなり喉を通り、焼酎のキリキリ感が少しまろやかになったような感じがします。ソーダのキリキリ感をレモンでさらに強くして、キリキリキキリで飲むのもいいんですが、焼酎と黒焼き玄米茶のまろやかな味も、これはこれでいいんじゃない。

気がついたら、つまみも終わってしまい。

妻が風呂から出てきたときには、私もご機嫌になってしまっていて、、、結果、4杯も飲んでしまいました。

幾ら2:8(ニハチ)でも4杯はまずかった。

 

えらい叱られて

1週間、「禁酒令」が出てしまいました。


【黒焼き玄米茶のいろは園さんへのリンクです】

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング
-

ギクシャクした空回り

 突然ですが、最近どうも、仕事場がギクシャクしています。私は自営業を法人化したような、ちっぽけなちっぽけな会社をやっています。私と妻と、パートさんが3人ぐらい、それに在宅で仕事を請け負っていただく人たちが数名でやっている会社なんです。

 

 数日前、50代の女性パートさんの1人が突然、「在宅で仕事をさせてください」と言い出しました。つまり辞めたいと言ってきたのです。

「どうしたの?」

「体の調子が悪いんです…」と

 

いや~困った。100人も200人もパートさんがいれば、1人や2人の調整は大したことはないのですが、我が社!の現有勢力のパートさんはたった3人、その1人やめてしまうと、他の方たちに労力が過重にかかってしまうことになります。

しかし、体の調子が悪いと言われてしまうと、無理強いすることはできません。

 

「そうですか、で、いつまでやってもらえますか? 次の方が決まるぐらいまではお願いできませんか?」と尋ねると

「今日で終わりにしてください」とキッパリ言われてしまった。

「いやいや、そんな急な話はこちらも困りますし、今、抱えている仕事の引継もあるでしょうから」とお願いしても

「もう、しんどいです」とキッパリ

でさらに

「パソコン持ってきましたから、仕事できるように設定してください」と、いきなり病気でフラフラしている私に、自分の自宅のパソコンの設定をしろと言うんです。

だって、まだ辞めるも何も決まってないうちに、もう自分のパソコン持ってきてるわけ?

いやはや参りました。この人は、この人でちょっと問題はあるのですが、今日はそんな話はやめましょう。

 

で、彼女のいないときに、妻が私のところに来て

「そう言えばさ、彼女が客先に電話をかけていたときに、何か言ったでしょう?それが原因かもしれないわよ」と言ってきました。

「何だろう?」言った本人の私に記憶がないんです…。

その不可解な私の表情を見て、事細かにそのときの状況を説明する妻、

 

「あっ!、あったあった。」と、私もそのときの状況を思い出しました。

彼女が、私に数点質問がありますとやってきました。

「ここはどうすれば、前回はこうで、今回はこうなっているので…」などなど、細かい点を聞いてきました。

私は、一つずつ、その質問に答えていましたが、どうしてもこちらでは判明しない事柄がありました。

「う~ん、それは資料にもないし、客先に聞いてくれるか?」と言ったわけです。まあ、当たり前と言えば当たり前のことです。

 

すると、そのパートさん、客先に電話をかけ

偉い人(肩書に「長」がつく方)を呼び出して、やたら事細かなことを「どうしますか?どうしますか?」と畳み込むように問いただしだしたわけです。

「えっ?そんな細かいことは、さっき俺と決めたじゃねえかよ…まだ、そんなにたくさんあったんなら、さっき言ってくれればいいものを…」と思い

電話の後で

「お客さんの偉い人に、そんな細かいことを一々聞かないでいいから、そんなことはこちらで処理できるだろう。どうしてもこちらでは責任が持てないようなことだけ聞けばいいから、相手は偉い人なんだから…客先にお聞きするというのは、そういうこと。」と言ったんでした。私としてはしごく当たり前のことを言ったつもりでした。

しかし

妻が言うには、その言い方が悪かったそうです。

 

それを聞いた私は、パートさんが部屋に戻ってきたとき

「〇○さん、ひょっとして、前に俺が客先に電話したときに言ったことで怒っちゃったのかい?」

「いいえ」とキッパリ

「いや~俺の言い方が悪かったら、謝るから、考え直してもらえないか?」とかなり下手に出たのですが、

「いえ、体が悪いんです。何なら診断書を持ってきます」と、役人の質疑応答の答弁のような答え

「いやいや、そんな診断書とかいうことじゃなくてさ、今までよくやってくれていたのにね、いきなりもったいないじゃない」

「診断書を持ってきます」と、もう答弁を繰り返すのみ。そこまでしか予想問答をつくってきてないのかもしれませんが、そこまで言われると、私としても

「そうですか、残念です」としか言いようがありません。

 

しかし、妻が言っていたのは、いつの頃からか、私の物言いの語気がとても強くなり、言われている者にとってみれば、

「怒鳴られている」

「怒られている」

「叱られている」

としか取れないと言うんです。

 

 当の私は、そんなつもりは全くないんです。よく仕事をやってくれて、期待の持てる人でしたから、これからも仕事を続けていっていただくのに、そのくらいの常識的なことはアドバイスしなければいけない。そう思って言っているだけなのです。仕事もできない、役立たずのパートなら、さっさと辞めていただいているはずですからね。

 

その夜、夕食のとき、またその話題が妻から出てきました。私としては、本音で言えば、スルーしてほしかった話題です。しかし妻は、きっと日ごろ腹に据えかねていた、「その言い方が悪い」を攻撃したかったのかもしれません。がんがん言われてしまいました。

 

妻の言い分は要約すると

私がどんなことを言おうが、それは言い訳にしかすぎず、結果として、事実として、仕事ができるパートさんを今までに、今日辞めると言った方を含めて、2人も辞めさせてしまった。下手すると、今残っている2人のうち、もう1人もあんなものの言い方をしていると辞めちゃうよ。ということでした。

 

ものの言い方か~

 

自分で感じていたことは、3年半前の手術後、声がしゃがれて、声がとても出にくくなってしまったんです。普通に話せないんです。小さなひそひと話みたいな声か、それとも、これからものを言うぞ~みたいに意を決して大きな声を出すかのどちらかしかできなくなってしまったんです。原因は医者もわからないと言っていました。今もそれは続いていて、勢い話すのが嫌になってきています。電話ももうよっぽどのことがない限り私は出ません。相手先にも、これまたよほどのことがない限り出ていきません。話したくないんです。

しゃべることがとてもつらい、疲れる、神経を使うんです。

 

だから、社内のだれかにものを言うときには、意を決して大きな声を出してしゃべることになってしまいます。それが怒ったときのような話し方のなるのかもしれません。しゃべっているときには、腹が立っているわけでも何でもないんですが、これは相手のあることですから、相手がどう取るかで決まってしまいます。

 

でも、原因は、この自分で感じていること、だけではないのかもしれません。

やはり私の心の中に、自分でもよくわからない「イライラ」や、何かにぶつけたい理不尽な「怒り」…そんなものがずっと居座ってしまっているのかもしれません。それがふとした拍子に表に出てしまう。

日ごろから、そんなもののしゃべり方をしていれば、それを聞いているパートさん方だって、「イライラ」してしまう。

そして自分に向けてその言葉が発せられたら、

「もう辞めてやる」そう思っても不思議ではないですね。

 

もちろん、社内で妻以外は、私がすい臓がんであることは知りません。知っていてくれれば、もう少し理解してくれても…いやいや「癌であることを理解してもらう」という言葉で逃げてしまってはいけませんよね。それは仕事をする人間として失格です。

 

妻とは、その後も話し合い

結論として、私は自分からものを言うのはやめることにしました。

誰かに質問されたとき、問われたときは、そのことだけに答えていこう、そして私の席は少し奥まったところに移して、他の人たちが見えないようにしよう、見えると、言いたいことも出てきます。

つまり

「見ざる 言わざる 聞かざる」

にしているのが一番いいということにしました。

 

koma01

(空回りして倒れるコマ)

「え~そんな~…」という方もいらっしゃるかもしれませんが、

自分の「空回り」に、他人まで巻き込んでいる現実をちゃんと受けとめていこうと思います。

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング
-

父の脅威的な生命力に感服

 夕べのことでした。

午後10時ちょっと前のことです。トイレで、「くそ~腹痛え、腹痛え」と、いつものように苦しんでいたときでした。

「電話、電話」と言いつつ、着信音の鳴り続けているスマホを片手に、いきなり妻が私の入っているトイレのドアを、ガバッと開けるのです。

私のがんの手術後、退院してきてから、妻との約束で、「トイレで何かあったら大変だから鍵はかけない」という取り決めがあるので、いきなりドアは開けられるのですが、いざ、それが現実にあると、さすがに、びっくりしました。

「何だ? 何なんだ?」と、とり乱す俺

「電話、お母さんから電話」と、座っている私から目をそらし、スマホを手渡して、文字通り臭いものにふたをするように、バタンとドアを閉めて、リビングに戻る妻…。

いや、だって、片手が使えなくなったら、ふけないじゃん。。。どうすんだよ?

 

いやいや、それどころじゃない。こんな時間に電話が来るってことは…きっと、おやじがもうだめなのか?

ものすごい状況で、ものずごい覚悟をして、スマホに出ました。

「どうした?」と私

母「あのな、、、、」と、声が詰まる

「おやじか? どうなった?」と私

母「あのな、、、」

「だから、どうしたんだよ」と、母の話の「間」にイライラする私

母「おとうさん、一般病室に移れるんだって」

「え? いい話だよな~」と私

母「あのな…3カ月病院にはおれるんだわ」と、いきなり話題は違う方向に行く。

半分、認知症になっている母との電話の会話をここで再現すると、大変な文字数が必要なので、要約すると

 

医師から「もう家族・親せきを呼びなさい。」と死を宣告された、私の父は、脅威的な生命力で何と復活して、一般病棟に移動できるまでになったとか。

ただし、救急で今の病院に入ったので、今月末までは、その救急病院に入院している。

その後は、母の言う意味がよく理解できないのですが、3カ月ごとに病院を移動しながら、「時を待つ」ような生活になるとか。つまり家にはやはり戻っても、母が面倒を見る自信がないので、施設がわりに病院を回るということだと理解しました。

1カ月30万かかると看護師さんに言われたと、母は言っていましたが、その意味もよくわかりませんでした。

とにかく、私の父は復活したのです。よかった。よかった。

結局、私は母の話が終わるまで、ずっと尻を出したまま25分もトイレに座っていました。

 

私の父は、57歳のときに一度倒れています。脳卒中でした。あのとき、会社に電話がかかってきて、そのとき電話をくれたのは私の兄でした。

「おやじが倒れた…」と、涙声で私の名前を叫んでいた兄貴の声は今もはっきり覚えています。

私が家族を車に乗せ、父の運ばれた救急病院についたのは8時間後でした。

近くの親せきが、みんな薄暗く電気を消した待合室で待機していました。

その後、私と兄は、執刀医に呼ばれ、手術の説明をビデオを見ながら受けました。私は、手術をビデオで見たのは生まれて初めてでした。頭を開き、どんどん血管を分けながら、破裂したところを探しだしていく医師の手が、本当に神の手のように見えました。

大手術は成功しました。

でも、みんな諦めていました。必ず後遺症が残り、うまくいっても半身不随になるのか、何か残ると。

しかし、脅威的な生命力のある父なんでしょうね。2~3年後には全く後遺症は残らず、元気に好きなパチンコに行ったり、ワンコと散歩をしていました。

今の私とほとんど同じぐらいの年齢での出来事でした。

 

おやじの脅威的な生命力を少し分けてほしいものだよ」なんて、軽口を叩いていたのですが、

ふと思ったんですが、その生命力、実は私にもあるのかもしれないですね。

だって、まだ、なんだかんだと文句ばかり言ってはいますが、膵臓がんステージ4で、術後3年半で、こうして仕事をし、ブログなんて書いているんですから、ほかの皆さんから見れば、大した生命力なのかもしれませんね。

 

そういえば、サラリーマンをしていたころ、先輩諸氏に

「ゴキブリ橋本」と言われていたのを思い出しました。ハハハハ…

関連記事

にほんブログ村 すい臓がん
日記・ブログランキング

黒焼き玄米茶の「八ヶ岳いろは園」

健康ランキング